【回想録2】パニック障害の前兆と発症

2019年4月18日

【記事を読む前に】この記事はパニック障害とうつ病を発症後、精神科医の指導や投薬等の現代医学に頼らず医学以外の方法でパニック障害とうつ病を完治したあさと自身の経験に基づいて書いています。他の方がここで書かれている通りの方法でパニック障害とうつ病が改善・完治するかは確認していないため保証はできません。
しかし、ここで書かれているあさとの経験談、試したことや心の変化は全て事実です。病気の話はエビデンスなしでは信用できないというのが常識であはりますが、あくまで一個人の経験談として読んでいただけると幸いです。

どうも!あさとです。

前回の続きです。

当時、パニック障害は突然起きたような気がしていましたが、後から考えてみるとパニック障害になる前兆がいくつかありました。

ここではどういう環境でパニック障害になったのか、発症当時を振り返ってみました。

前回を読んでいない方はこちらからどうぞ。

【回想録1】パニック障害になる直前の過酷な労働

パニック障害で倒れる前兆

ある日突然、「有給休暇の期限が迫っているから来月中に使い果たすように」とオーナーからの指示がありました。

そのため翌月に突然1週間の休みを取ることになりました。

その時は「1週間も連休で休んでいいのか!」

と、嬉しくなりました。

ただ、真面目で勉強家だったあさとは(自分で言うか…)、

会社の役に立てるような食の勉強を兼ねた海外旅行に3泊ほど行くことにしました。

いよいよ旅行当日。

いざ出かける直前に最後の準備をしていると、ものすごい不安がやってきました。

飛行機に乗るのが怖くて不安になっていることが分かりました。

身体が緊張で硬直し始め、だんだんと不安が大きくなっていくのがわかりました。

顔がこわばるくらいの緊張と不安で顔は青ざめ、出発前のごはんものどを通らないくらいです。

完全にプチパニックを起こしていました。

今思うとあれは、パニック障害の予兆だったと思っています。

旅行は同棲中の彼が同行してくれたため、飛行機も無事安心して乗ることができました。

目的地に到着した安堵感でだんだん気持ちも緩み、海外旅行としては初めての国だったのでとても新鮮で楽しかったため、気づいたら不安も治まっていました。

 

そして、ある日突然やってきた

更に数か月後、かなり心身ともに疲弊していました。

当時、仕事が辛くて家でよく泣いていました。

自分の時間や自由がないことがストレスになり、喉が詰まるような息苦しさを感じていました。

そしてオーナーの厳しい目を常に恐れている自分がいました。

「店長である私が犠牲になって店を守るということを求められているのだ。」

と言い聞かせながら自分を押し殺して働き続けました。

慣れない店長業務は完全に空回りしていました。

私よりも勤務歴の長いベテランアルバイトたちと折り合いがつかず、新しく来た外国人コックも言うことを聞いてくれない。

売上も下がる一方で何もかもがうまくいっていませんでした。

入社当初あったモチベーションも、いつの間にか枯渇していました。

ただ仕事をやり過ごす毎日で完全に無気力になっていました。

いつものように疲れて果てて帰った夜、寝る間際にとてつもなく大きな漠然とした不安が押し寄せました。

「絶望の淵に立ってしまった...」

と、彼氏に伝えました。

そのまま眠りにつきました。

 

翌朝、通常通り仕事に向かいました。(身体は自動的に動いてくれる...)

体調が悪いというよりは、ひたすら無気力で全くやる気が起きない状態でした。

その日いつものように外国人コックの休憩時間の間、あさとはコックの代わりに調理場に立っていました。

オーダーが数件入って調理をしていたのですが、急に大きなめまいが襲いました。

ふらふらで立っていることもやっとで倒れこみながらも、必死にオーダーが入った調理をやり終えました。

キッチンには食材が散乱し酷い有様。

動悸も激しくなり立っていられなくなり、しばらくしゃがみ込んでいました。

アルバイトの子が気を使ってくれていましたが、何を言ってくれているのか全く記憶にありません。

こんな状態では到底働けないと思い、フラフラになりながら自らオーナーに電話し状況を説明。

当時、同棲していた彼に迎えに来てもらい、すぐに当時以前から知っていた心理カウンセラーの方に電話をして対応策を聞いてその日は帰宅しました。

これが始めてパニック発作が起きた時の状況です。

 

パニック障害発症…でも働かないといけない

パニック発作が起きて次の日も気だるくて体が重たい感じはありました。

アルバイトの子に迷惑かけれない。

店長が穴をあけるなんあってはならない。

早く仕事に行かなくては…という気持ちがあり、何日休んだのか記憶にないのですが数日で現場に戻りました。

しかし、お店に立っていても不安と恐怖で落ち着かずまともに立っていられません。

急に動悸がしたり、漠然とした恐怖が押し寄せてくるのです。

居ても立っても居られず、アルバイトの子に店を任せて同棲中の彼氏が働いている近所のお店に助けを求めに行ってしまったこともありました。

こんな感じなので出勤しても早退を繰り返してしまい、全くの役立たずになっていました。

同じような日がしばらく続いたある朝、とうとうベッドから起き上がれなくなりました。

普通は脳が体を動かそうと指令を出してくれますが、脳が体を動かしてくれないような感覚でした。

オーナーからしばらく休むようにと指示をもらい、とうとう無期限で休むことになりました。

 

過酷な労働からの解放

その後スタッフの子たちがお店を回してくれてしばらく休むことができたのですが、どれくらい休んだのか記憶がありません。

しばらくして今後の進退について話すためオーナーと会いました。

オーナーは私の状態に驚いてずいぶん優しく接してくれました。

周りからは労基に相談したほうがいい、会社に言って労災申請したほうがいい、酷い環境で働かされたことについて賠償請求したほうがいいなど意見をもらいました。

しかし、私のような未経験のでき損ないを店長として雇ってくれてただけでもありがたかったのでなんとなくそんな気にはなれませんでした。

その後しばらくしてオーナーと相談の上、社員としての復帰ではなくアルバイトとしてお店に戻ることになりました。

バイトとして働いてみると、責任を感じることなく驚くほど気楽。

ドサッと肩の荷が下りた感じでした。

これまでの社員としての責任が大きな重圧になっていたんだと、この時理解出来ました。

ただ、パニック障害の発作は依然続いていたので、働くのにも限界がありました。

最終的にオーナーと話し合い退職することにしました。

ここまでがパニック障害の前兆と発症した時の状況を記憶の限り記録してみました。

これを読んでいただいている方の中には、もっと過酷な環境で働いている方もたくさんいらっしゃると思います。

現にここで働く外国人コックたちは、あさとより更に長い時間働かされていましたし、並びにあった別の飲食店の店長は1か月間休みなしとも聞きました。

なので、この労働条件だから精神的に病むんだとかではなく、自分がどれだけストレスを溜めながら働いるかによって精神の蝕まれ方は違うのだと思いました。

仕事が天職でストレスを感じなければ、休みなしで働けるでしょうしね。

この出来事を機に、ストレスのかかり過ぎるような無理な働き方はもうやらないと心に決めました。

ストレスを溜めずに仕事をしたり生きていくのはほぼ無理に近いことです。

しかし無駄にストレスを溜めず、なるべくストレスを少なくすることで生きやすくなると実感しています。

今回の記事は以上です。

ありがとうございました。

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