今のお仕事はいわゆる顧客対応なのですが、
顧客とは通話経由で自動的に対峙するため当然ながら顧客を選べないシステムです。
どんな顧客を引くかは完全に運であり、良い顧客に当たることが多い人もいれば低評価付けてくる顧客に当たることが多い人も出てくる。
どんな顧客と対峙しているのかの確率が各従業員平等であるかは開示されていません。
当然ランダムなはずなので、
良い顧客:低評価を付けてくる顧客の割合が全従業員5:5なはずがない事は容易に判断できる訳です。
またアンケート回収のシステム上、図らずも人の低評価が自分の評価に加算されることがあります。
しかし他の従業員向けの低評価が自分の成績に加算されることを阻止する方法がないため、これまた防ぎようがなく完全に運任せ。
顧客からのコメントにより明らかに当従業員に向けてのコメントでないと判断できた場合についてはコーチングがされないという例外扱いがありますが、数字に乗ってしまった低評価については受け入れる他ないというシステムです。
要するにわたしは”運も実力のうち”な評価基準に自分の仕事の評価を委ねている。
そんなことを真面目にやっているのか…とふと気づいたんです。
自分なりに真剣に高評価を追い求めたとて、運の要素によって完璧な成績を作り上げることが難しいということになります。
勿論、逆にたまたまシステムのおかげで低評価が自分に返ってこなかったため運良く成績が下がらなかったということもあります。
このシステム上の欠陥ともいうべき点を何となく受け入れているのには、「良い運も悪い運も平等に巡ってきている(…はず)」という根拠のない”運”に対する思い込みで納得している部分があるのではということです。
運とは、
「運」の語源・由来
「運」の語源は、「運」という漢字の成り立ちに由来する。「運」の中に含まれている「軍」という文字は、将軍が乗っている兵車を表していて、「軍」の古代文字を確認すると、兵車の上に立ててある軍旗が風になびいている形になっている。そして、将軍が軍旗を振りかざしながら、全軍の兵車を移動させてあちこちに巡り動かすことを表す文字が「運」であり、巡り合わせを意味する「運」の語源となっている。
運は平等に巡って来るものなのか?
絶対にそんなことはありません。
運が悪い人生を送る人もいれば、良い運に恵まれて生きる人生もあります。
今回は運が悪かったね
前回は運が良かったね
を数えていったらプラマイ0になるかどうかも、自分が一生終えるまで判断できないとも言えます。
人生の最後ではない段階で運についての総合結果を出す場合、どこかで自分なりの落としどころを見つけて質や数を相対的に振振り返り、運が良かっただの悪かっただのと判断を下し何となく自らを騙して納得させているに過ぎないなと。
重ねて突然の持論ですが、私たちの社会に平等はないと思います。
たとえウリふたつに似ていようがそれぞれが唯一無二の存在です。
其々違いがあるのですから平等になりようがないですよね。
平等じゃないのに何となく平等だよなと思い込むことで、これもまた自らを納得させているような感覚があります。
今の職場で研修を終え現場で働き始めてから半年。
私はこれまでとばっちりの低評価を既に2回受信。アンケートが飛ぶ確率の高い状態で低評価確定な顧客を引くことも少なくない”運”の巡りです。自分起因でない不満足をもらう運の巡りはそこそこあるように思います。
片や満足度100%で毎月の成績が安定している従業員もいます。
そういう人はアンケートの返信件数が少なめの印象ですが、ここには何かテクニックがあると感じています。
まだその辺りのコツを学習するに至っていません。
従業員ができる努力としては、
・高評価につながる顧客との対応にベストを尽くす。
・低評価につながりそうな顧客であってもトークスキルによって低評価が返ってこないような対応を心がける。
・システム上許される範囲で転送を行う。
などになって来る。
しかし、この運任せな成績管理のされ方、何か覚えがあるな___
(顧客・牌)引きの強さと(低評価・振り込まずロン)に当たる確立の低さが大いに運に委ねられている___
こ、これは…
麻雀そのものではないか…!!!
そうか、これはもうゲームだと思って楽しむしかないということなんだ。
仕事なんて真面目にやってられるか…!!!
いや、寧ろゲームだと思って楽しめば仕事もゲームみたいなもんだろ。
と考えようによっては少しポジティブに転換することもできるわけです。
良いこと思いついたなと自分を言い聞かせるのでした…
最後まで読んでくださりありがとうございました。