人が生きている意味とは?に対する結論

2019年5月10日

【記事を読む前に】この記事はパニック障害とうつ病を発症後、精神科医の指導や投薬等の現代医学に頼らず医学以外の方法でパニック障害とうつ病を完治したあさと自身の経験に基づいて書いています。他の方がここで書かれている通りの方法でパニック障害とうつ病が改善・完治するかは確認していないため保証はできません。
しかし、ここで書かれているあさとの経験談、試したことや心の変化は全て事実です。病気の話はエビデンスなしでは信用できないというのが常識であはりますが、あくまで一個人の経験談として読んでいただけると幸いです。

どうも、あさとです。

先日書いた存在(個)の恐怖の話の続きのような記事です。

「人が生きている意味とは?」

という問いに対して「子孫繁栄のため」と答える人は割と多い気がします。

「子孫繁栄のため」という回答は間違っていないのかもしれないけれど、個人的には疑問を感じます。

なぜかというと、もし子孫繁栄が人の生きている意味になるのであれば、

「全ての人間が子供を作らないと生きている意味がない。」

という理屈になるからです。

でもそんな簡単に「子供を作らないと生きている意味がない。」と一刀両断できるのか。

もし子孫繁栄が人の生きる意味なのであれば、全人類がDNAレベルで”子孫を残す”という目標を持って生きていないとおかしいということになりませんか。

しかし実際には、体質や疾患によって子孫繁栄に貢献できない人がいたり、自分の意思によって子孫繁栄に貢献しない人もいます。

人の生きている意味が「子孫繁栄のため」というと一聴正当に聞こえるけれど、子供を産めない人や産まない人が存在しているのですから、生きている意味=子孫繁栄と断言するのは少々説得力に欠けると思います。

確かに地球では人間やその他の生物も命を繋いでそれぞれの社会を発展させてきました。

これは事実なので子孫繁栄は目的ではなく、自分たちの種を受け継ぐ手段だと言えると思います。

他にも「人が生きている意味とは?」の答えとして「社会での使命がある」という人もいます。

・国を動かす政治家になる使命。

・親の事業を継ぐという使命。

・人を助ける使命。

などなど。

使命とは

し‐めい【使命】 の解説
1 使者として受けた命令。使者としての務め。「特別な使命を帯びる」

2 与えられた重大な務め。責任をもって果たさなければならない任務。「教師の使命」

そもそも使命ってどこからやって来るんでしょうね。

意味通り誰かからの命令によるものなのか、突然夢の中に神様がやってきて「あなたは政治家になるのだ!」と言われるのか、産まれる前に既に使命が組み込まれていてそれが発揮されるのか。

全ての人間が使命を持って生まれてきているのであれば、何らかの形で「これが私の使命だ」と確信するはずですが、その使命も分からないままなんとなく生きて一生を終える人もいたりします。

それを考えると、人には生きる上で使命があるという考え方も曖昧模糊としたものに思えてきます。

そもそも人が生きる意味とは何なのだろう_______

あさとはパニック障害とうつ病を完治するまでに徹底的に「生きている意味」に向き合わなくてはいけませんでした。

病に苦しんでいる最中「どうせ生きている意味なんてない」「私は無価値だ」という言葉に打ちのめされながら、人間とは何なのか、生きている意味って一体何なんだという疑問とうんざりするほど対峙しました。

当時インターネット上では的確な答えに出会えることはなく、本を読み漁りましたが少しのヒントにはなっても、これだという答えは見つけられませんでした。

徐々にパニック障害とうつ病が回復していく中で、ひょっとしてこれが結論なのではないかというところに行きついたので、ここではあさとが辿りついた人が生きる意味についてお話してみたいと思います。

人が生きている意味とは?の結論に迫る

人が生きている意味の結論

人ってなぜ生きてるの?

人間にはどんな生きる意味があるの?

人が生きている意味とは?

このシンプルながら壮大な疑問に対する現時点での結論はというと、

「分からない」

です。

おい!分らんのかい!!!

とツッコミが入ることが間違ない結論。

この結論は決して投げやりに言っているわけではありません。

長年考えあぐねた結果「分からない」という結論に至りました。

あさとが分からないと言い切れるのには理由が2つあります。

  1. 生きている意味が分からなくても人は一生生きていけるから。
  2. そもそも今存在していることに意味なんて必要ない(意味なんてない)と分かったから。

この2つが自分の中で腑に落ちると、人の生きている意味なんて分からくても大丈夫という大きな安心感に包まれました。

どんな質問でも言えるのですが、二元論に偏らず分からないという結論に安住できるということは、その件において自我の呪縛が解けた証拠でもあります。

少し話が逸れるかもしれませんが似た話があって、『銀座OL世界をゆく!3 ダライ・ラマに恋して(2005年3月、フジテレビ)』で、主演のたかのてるこ氏はチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王14世にアポなしで会いに行くという企画をやっていました。

勿論直ぐには会えず、数日か1週間程度だったかしてやっと対面。

たかのてるこ氏は猊下とこんなやり取りをしていました。

たかのてるこ「神はいると思いますか?(英語)」

ダライ・ラマ14世「I don't know.(知らないよ)」

し、知らない...

チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王14世ともなれば、

「もちろん神は居るし会ったことがある。」

と言うに違いないと想像する人は多いでしょう。

しかし猊下(げいか)は、いともあっさりと「I don't know.(知らないよ)」と返答していました。

チベット仏教の最高指導者だからと言って、神は存在しているなんてことを方便で言うこともなかった。

彼が返した「I don't know.(知らないよ)」に噓偽りは微塵も感じられませんでした。

なんて正直な方なんだろう...!と当時すっかりファンになってしまいました。

この猊下の回答は生きる意味の結論と似た視点だと思いました。

どれだけ考えても分からないことは分からない。それでいいのだと理解できたエピソードでした。

生きる意味なんて分からない

これが答えだしそれでいいのだと確信している人はあさと以外にもたくさんいると思いますが、一方多くの人が今も生きる意味を求めて社会を彷徨っているでしょう。

では、なぜ人は生きている意味を求めるのかについても考察してみます。

人が生きている意味を求めるのはなぜ?

なぜ、人は生きている意味を求めるのでしょう。

人は「この世のあらゆるものに根拠や理由がある」ということが常識だと思って生きています。

ですが、人間以外の動物たちは今をあるがままを生きていて、生きる意味なんて考えていないように見えます。

他の動物と違って人間には「私はわたしである」という感覚、即ち”自我”があります。

自我は自分という存在にとんでもない執着を持っていて、それを証明することに命を懸けています。

そのためには何でも知りたいし、自分という存在を失うことを恐れています。

そんな自我を抱える人間にとって人が生きている意味を求めたくなる理由は2つ思い当たります。

  1. 自分という存在の証がなければ存在していない(死)と一緒だという恐怖。
  2. 自分の未来を知れないことへの恐怖。

という人間の持つ根源的恐怖が基になっていると考えています。

自我はこのような恐怖から逃れるため、疑問に対する答えに納得して少しでも安心したいわけです。

だから人は生きている意味を求めてしまうのだと思います。

実は究極生きる意味なんてない

最初にも言いましたが、もし

「人が生きている意味とは?」

と聞かれたら、

あさとは

「分かりません」

と答えます。

そして、どう考えたって分からないことは実体も証拠も掴めないわけで、要するに無いのと同じと考えています。

そう、ぶっちゃけていうと人が生きていることに意味なんて無いんです。

地球上にいる全人間の生きる人生に意味は無い。

少々暴論に思えるかもしれませんが、突き詰めるとこの考えに至りました。

以前、5ちゃんのひろゆき氏が「生きる意味ってなんですか?」って質問の回答がTwitterで流れてきて面白かったので紹介します。

ひろゆき氏らしいなと思いますが、彼は生きる意味なんてないとあっさり言い切っていますね。

あさとはひろゆき氏のこの回答には非常に共感しています。(ひろゆきファンではないけれど)

私達人間は地球上の生物の一種でありエネルギーなだけで、もし人間が生物の中で特別であると思うならばそれは単にエゴでしかないのかなと思っています。

しかし、このような話を聞くと、

「生きる意味が無いなんて、そんなの耐えられない...!じゃあ、死んでるのと同じってこと?!」

と頭の中で自我が慌てふためくかもしれません。

でも、慌てふためく必要なんて全くもってありません。

そもそも生きる意味なんてしょい込む必要がないのであって、むしろ安心して良いポイントと捉えればいいと思います。

「なーんだ、生きる意味なんて無かったんだ!じゃあ、気楽に今を楽しもう♪」

と心から思えたら、肩の荷がドサッと落ちるはずです。

生きる意味を深刻に考えて、苦しむ必要なんてありません。

生きる意味なんて無くても良いんだ。

そう自分に許可してあげてください。

私たちは今にしか生きていない

あさとが、【生きる意味なんて分からない=生きる意味なんてそもそも無い】と確信に至った理由の一つに、私達は「今」にしか存在していないということに気づいたからというのがあります。

私達が存在していると言えるのは唯一「今」だけです。

今ここに在ることが全てで、それ以上もそれ以下もありません。

そして「今」在ることや生きていることに元々意味なんて付いていません。

意味付けは本来自我の機能で、分かりやすいようにラベル付けしているようなイメージです。

自我は今に在れず、過去をベースに働いているというのが観照すれば分かります。

「今」の感覚がいまいち掴めない方に例え話をすると、

例えば、ある日突然記憶喪失になって何も思い出せなくなってしまったとしたら、自分の過去を辿ることができません。

しかし、記憶喪失になったとしても体が動く限り人は生きていくことができます。

これは、過去が今と繋がっていなくても私達は今に在ることができるということです。

反論があるとすれば、動画で記録すれば過去が今存在しているじゃないかと言われる可能性があります。

動画に映る過去の記録は、液晶の上の電気で動く粒子の集まりであってそれ自体は過去ではありません。

今やっていることは液晶に移る粒子の集まりを見ているのであって、過去を見ているのではありません。

もう一度言いますが、

今こうして生きていて、ここにいる。

ということしか存在していなくて、過去や未来は存在していません。

意味はあくまで後付けされているもので本来付いてない。

だからそもそも意味なんて無い。

不安と恐怖は全て過去や未来にあって、今にはありません。

だから今には何もないしとても平安です。

もし、生きている意味がどうしても欲しいならば自分で勝手に解釈して人に言えばいいだけの話。

ですが今を知れば過去や未来にこだわることも取るに足らないことだと分かるはずです。

今回の話もパニック障害やうつ病で辛い思いをしている人の考えるヒントになれば幸いです。

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