12/27こばやしあやな「公衆サウナの国フィンランド」出版トークイベントに行ってきた(2)

投稿日:2018年12月30日 更新日:

今回は、こばやしあやなさんのトークイベントに行った話の続きです。

こばやしさんの話が終わり、続いて元ニュージャパンスパグランデ支配人、スパプラザ支配人を経て現在あるごの湯副支配人の常盤理@AufgussMeisterT さんのトークをこちらで箇条書きでまとめました。

その前のこばやしさんのトーク内容は別の記事になっています。

そちらから読みたい方はまず下の記事をどうぞ。

12/27 こばやしあやな「公衆サウナの国フィンランド」出版トークイベントに行ってきた!(1)

一般公衆浴場その他公衆浴場の違い

・公衆浴場は大きく分けて一般公衆浴場とその他公衆浴場の2つに分けられる。
・一般公衆浴場=銭湯。入浴料金の上限が決められているのが特徴。
地域により違う。現状、大阪440円、東京460円、神奈川480円。
上限しか決まっていないので、下限は調整可能。
・ニュージャパンは統制を受けていないので値段設定が自由。スパグランデは2万円。回数券は20万円でした。
・(ニュージャパンのテキストから抜粋して説明。)温浴施設は「健康ランド」「スーパー銭湯」「都市型サウナ」と大きく分けて3種類。
・関西では奈良健康ランドはいわゆる健康ランドのはしり的存在。最古参かも。
・船橋ヘルスセンターが健康ランドの発祥と思われる。
・健康ランドの特徴はカラオケボックス、大衆演劇上がある。
・宿泊所はなく仮眠室が備え付けられており広い敷地面積が必要な大型の公衆浴場。
・深夜料金追加料金として加算される。
・スーパー銭湯は24時間ではないお店がほとんど。
・スーパー銭湯には仮眠室などの大型設備はない。
・1000円以下大阪は700円~900円
・短時間高回転型。健康ランドとは少し客層が違う。

ニュージャパン黎明期からの歴史

・戦後の焼け跡の時代から平成までを走り抜けてきた大型公衆浴場はニュージャパンが唯一ではないか。
・言い過ぎと言われるかもしれないがニュージャパン観光はサウナの歴史そのもの。
・先輩方から聞いた話。1964年(昭和39年)東京オリンピックの際フィンランドの参加選手たちは組み立て式のサウナを選手村で使っていた。それが日本で当時話題になり今の銭湯ブームとは比にならない位のサウナブームが起こった。
・現在の渋谷駅東急にもサウナがあったらしい。
・ニュージャパンは元々発汗事業から始まった。
・1945年(昭和20年)大阪道頓堀が空襲で焼け野原になったわずか7年後の1952年(昭和27年)からニュージャパンはビルを建設。
・ニュージャパン入社後、先輩から当時の写真を見せながら「常盤、この道頓堀が焼け野原やった時代からビルを建て今までお客様を癒してきたんや。心に刻め」とスパルタ教育を受けた。
・このようなお話ができているのも長く勤めてこられた先輩方のおかげ。
・1952年(昭和27年)現ニュージャパンのビルに最初にできたのはスチームバスセンター。発汗事業としてミストサウナが始まり。(箱型蒸し風呂で検索すると似たようなものが出てくる。)
箱型のスチームバスに座り首だけ出した状態で女性が汗を拭いたり飲み物を提供してれたりと世話をしてくれるというサービス。
・女性施設はなく男性の疲れを癒す場所だった。
・女性はホットパンツできわどい服装だったようだ。
・ミストサウナが終わるとお付きの女性が汗を拭き、ガウンを着せてくれ、靴下まではかせてくれていたそうだ。
・昭和30年代からニュージャパンで働く女性従業員は集団就職で大阪に出てきたそう。
・焼け跡世代=戦中に物心ついている世代の人。野坂昭如の焼け跡派、闇市派とか言われたのがこの言葉の始まりと思われる。
・焼け跡世代を支えていたのは”モーレツ社員”。
・モーレツ社員とは家に帰らず働き給料が出たら家に帰り金を渡しまた職場へ戻っていく。がむしゃらな働き方をしていた男性を指す。
・「モーレツ社員を支えろ。この人達が日本を支えているんだ。」とニュージャパンでは教え込まれた。
・健康に携わることなのでただお金を儲けるのではなく人様の役に立つことだと繰り返し言われた。
・昭和43年にサウナプラザができる。スパプラザは大きな流れでニュージャパンの出発点。
・現スパカバーナの上階にはプールがあった。
・阿倍野アポロビルにあったニュージャパン阿倍野店にも流水プールがあった。
・ニュージャパン梅田にもプールあり。
・ニュージャパンはドイツのウェルネスセンター、ウェルネスリゾートの影響を受けていた。
・スチームバスセンターには当時、お風呂を併設していたりもしていた。
・昭和40年位にロイヤルホテルというのがあって外国人客もいた。
・ジャパニーズロウリュ発祥の店はスパプラザ。
・1984年(昭和59年)センチュリープラザが改装されてスパプラザになる。
・80年代後半~90年代前半あかすりとマッサージを受けられるサウナ施設としてバブル全盛期に誕生したのがスパプラザ。
・以前は休憩室が2つに分かれていて、キングコース〈あかすり・マッサージ60分〉とロイヤルコース〈あかすり・マッサージ40分〉があった。
・名前はロイヤルのほうが上な気がするがロイヤルコースのほうが安いのはなぜか不明。
・全盛期1フロアにマッサージベッドが100台あった。
・全盛期1日1000人のお客様があかすり・マッサージに来ていた。
・ニュージャパンのサウナはフィンランドのサウナや、ドイツバーデンバーデン、フランクフルト近郊のサウナ施設の影響を受けている。
・サウナ自体はもちろん大切にしていたが疲れを癒すためマッサージにも注力していた。
・当時お客様のために従業員は必死で働いていた。
・若い女性従業員のために託児所が途中でできた。送迎もしていた。
・給料日、女性のお勤めが終わると休憩室に宝石商や毛皮商が待ち構えていた。

ロウリュサービスのはじまり

・ニュージャパンでやっているのはアウフグースやないかという皆さんが思っている。
・実はスパプラザで最初に行われていたロウリュはセルフ。本場フィンランドのサウナそのままを再現していた。
・1993年(平成5年)頃ドイツへ視察。アウフグースの扇ぎ方やタオルの回し方などを持ち帰る。
・ロウリュサービスはセルフロウリュのやり方が分からないお客様に対して、セルフロウリュの方法を教えていたことが始まり。
・セルフロウリュを教える時間は決まっておらず、お客様に聞かれたら都度お伝えしていた。
・広いサウナ室だったため、そのうちロウリュをサウナ室内に行きわたらせるためスポーツタオルで扇ぐようになり現在のロウリュサービスの形になった。
・1995年(平成7年)から本格的にロウリュサービスを始めることになる。
・その後レディスサウナでもロウリュサービスを行うようになった。
・平成6年か7年あたりにスーパーロウリュが始まったが、その頃すでに他のサウナ施設でもロウリュサービスが始まっていた。
・本来ニュージャパンのロウリュサービスでやっていることはアウフグース。しかし、すでにお客様から「ロウリュやって」と言われるようになっていたこと、ロウリュの語呂の良さからか、そのままアウフグースをロウリュと言うことが定着した。

そのほかニュージャパンの昔の面白話

・スパグランデに来る客層についての質問。
・貴重品のお預かりがとんでもなかった件。
・有名ミュージシャンJ.BJ.が訪れた際の入れ墨事件。
・スパプラザに来たアメリカの有名ミュージシャンE.C.、バンドEなど。

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盛りだくさんのお話でした。

また持参のバスタオルでロウリュサービスの扇ぎ方を披露。

現役から随分離れているとおっしゃってましたがそんなことを感じさせない素晴らしいタオルさばきでした。

華麗なタオル捌きでした。

最後に少しお話させていただき楽しい時間でした。

長らくニュージャパンの歴史を見てきた常盤さんのお話は本当に面白かったです。

あさとはレディスサウナに行き始めてまだ4年ほどですが、来年3月で幕を閉じるのがまた一層さみしくなりましたね。

今回はこばやしあやなさんも、常盤理さんも濃いお話で充実したトークイベントでした!

来年3月まであと何回ニュージャパンに行けるかしら。

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