「今」の感覚と考察

2019年5月3日

【記事を読む前に】この記事はパニック障害とうつ病を発症後、精神科医の指導や投薬等の現代医学に頼らず医学以外の方法でパニック障害とうつ病を完治したあさと自身の経験に基づいて書いています。他の方がここで書かれている通りの方法でパニック障害とうつ病が改善・完治するかは確認していないため保証はできません。
しかし、ここで書かれているあさとの経験談、試したことや心の変化は全て事実です。病気の話はエビデンスなしでは信用できないというのが常識であはりますが、あくまで一個人の経験談として読んでいただけると幸いです。

他の記事でちらっと話の流れで出てきた「今」について、あさとの経験から得た感覚を書いてみようと思います。

ちなみに今から書くことはあくまであさと自身が得た感覚に基づいています。

なんかまだスピってない?と言われそうな気がするので前置きしておきます。

この記事内容は脳みそから離れましょうという主旨の話なので「神が~」「魂が~」みたいなスピリチュアルな話ではありません。

どちらかというと、「脳のトレーニングをするとこんな感覚を得たよ」という話です。

なのでスピってないので安心してください。

また、個人の一意見としてお付き合いいただければと思います。

 

人は今にしか存在していない

今を知るには、まず今ではない過去や未来を捉えることも大事です。

私たちは普段、過去や未来をどのように認識しているのかを考えてみたいと思います。

たとえば普段の生活の中でいつも通り普通に生活していると、なんの変哲も無いこんな思考が流れ込んで来ます。

「昨日のライブは素晴らしかったなあ」

「先月の誕生日のお祝いは嬉しかった」

「昔は苦しい思いをしていたなあ」

「今日はこれから仕事終わらせて同僚と飲みに行く予定、帰るの遅くなるな」

「明日、朝起きて弁当作らないと」

「来週の旅行のことを考えるとわくわくする」

ここに挙げた文章はどれも、過去や未来に対する思考です。

ここで言う思考とは、過去の経験や知識に基づき過去や未来について思ったり考えたりすることを指します。

私たちの頭の中には毎日四六時中たくさんの思考がよぎります。

それらは、過去や未来についてばかりです。

では、「今」という時をどのようにして思ったり考えたりすることができるのか。

実は「今」は思ったり考えたりすることはできません。

というのも、思考は常に過去や未来(どちらかと言えば過去)に支点があり、 今に在ることはできない性質です。

要するに思考(=自我)で「今」の感覚を得ることはできません。

「今」という瞬間は、思考を使って理解することはできないということですね。

「今」は「在る」という表現が適切かもしれません。

実はこうしている間も私たちは、ずっと「今」の連続の中に在ります。

私たちは「今」にだけ在ることができます。

にもかかわらず、過去や未来の思考に埋め尽くされて、日常的に「今」を感じることから遠ざかっています。

 

過去とは

過去は過ぎ去った時間を指します。

「過去が今ある」なんいうことはありえませんよね。

過去は戻って来ませんし実在していません。

存在するとすれば脳が生成した記憶として存在しています。

ここから私が自分の思考を観察して得た、脳の生成する記憶の特性について少し触れてみます。

脳は過去の記憶を100%完璧に記憶しているわけではありません。

良くも悪くも思考(=自我)の都合のいいように、そしてあなたの脳のポテンシャルやあなたの性格によって良きように記憶しています。

記憶はしばしば改ざんされていることもあり、過去の話をした時に他人と全く違う記憶が残っている場合があります。

自分にとって悪い記憶も、自分にとってそれが都合が良いから記憶している場合があったりもします。

記憶が絶対的事実かどうかを知りたいと思っても、脳での認識がすべてである私たちにとって脳の認識を超えて記憶を測ることもできません。

そんな脳を信じて私たち人間は生きているのだなあと思うわけです。

要するに、過去の記憶は非常に曖昧なものであると言えます。

過去に同じ場所で同じ体験をした人がいても、その記憶は十人十色です。

両者の体験に共通することはたくさんあっても、そもそも各自が見ている視点が物理的にも精神的にも違うため、完全に一致させることは不可能です。

この事実から言えることは、あなたは私ではない。

ということです。

過去は単に脳が記憶しているデータであり幻想とも言えます。

もちろん、自分が記憶する過去は自分の中にしか存在していません。

 

感情と思考の動きを捉える

自分に起こってくる感情と思考をよーーーーく眺めてみてください。

感情が湧いた後に思考が発生しているということに気づきませんか。

感情が湧いて来ると、思考はコンピュータのように過去の記憶からその感情に合う考えを導き出し、超高速で感情に思考を乗っけて来ます。

そのため、感情と思考はワンセットのように見えますが実際は別々です。

まあ、感情と思考は単語として別なのでよく考えなくても別ものでしたねw

ですが、こと自分の心の話になると感情と思考を一緒にしてしまいがちです。

あくまでニュアンスですが、

感情は湧いて来るという表現が適切なように思います。

思考はやって来るという表現が適切なように思います。

 

「今」は懐かしい?

過去や未来をエンドレスリピートで考え続ける思考から逃れて、「今」にあることでどんなメリットがあるのかを挙げてみたいと思います。

思考と感情がひっきりなしに飛び交っている状態に気づき続けると思考が湧いてこなくなる瞬間があります。

思考がない間は今に在ることを実感できます。

「今」は座禅や瞑想だけでなく、日常生活でも感じることができます。

  • ゆっくりと景色を眺めている時
  • 外で静かに風に吹かれている時
  • ソファーや座椅子でボーっとしている時
  • カラオケで熱唱している時
  • 好きなことに打ち込んでいる時
  • サウナと水風呂の交互浴の合間で休憩している時

どんな形でもリラックスしている時やなにかに集中している最中に「今」を感じることはできます。

今にいると無思考なのでストレスがありません。

なんとなくリセットされた感じがします。

今を感じている時、馴染みのない景色を眺めていても、なんだか懐かしいような感情が湧き上がって来たことがあります。

これら全ては言い表すと心地よい感覚です。

なぜだかわかりませんが、これもホルモンの作用なんでしょうね。

心と身体にもストレスを感じていない時間があるのは心地よいです。

過去や未来を忘れて「今」を感じる時間は人間にとって大切なのではと思います。

 

パニック障害の予期不安への応用

[あなたの過去はあなたの中にしかない。]

これはパニック障害の予期不安に応用できます。

私がパニック障害で度々不安が襲ってきた時、こういう考え方で楽になったという方法を紹介してみます。

  • この不安は私の頭の中だけで再生されている。
  • その不安は外の世界にあるわけではない。
  • 不安という感情が自分の中にやって来ただけ。
  • 不安は過去から導き出されたもの。
  • そもそも過去は幻想だから自分でわざわざ不安を煽って増幅させる必要なんてない。

この考え方で日常を過ごします。

予期不安が立ち上がってきたら上記の考え方に立ち戻るように心がけました。

 

「そうか、この不安に思っていることは幻想なのかぁ~」

 

と我にかえることができると不安から少し解放されます。

こんなことを繰り返していると、段々と不安に時間を使うことがバカらしくなって来ていることに気づきました。

そこまで来るとずいぶん楽になったなあと実感できました。

私の経験上、不安にくっついている思考は過去の経験からやって来ているんだろうと思っていますが確かなことはわかりません。

もちろん自分が忘れてしまった過去も含まれているので、自分が覚えていないような出来事も脳は参照しに行っているのでしょう。

要するに脳が覚えていることがすべてではないということも理解しておきます。

するとパニック障害で不安を感じた時、記憶にないようなポイントで不安になったとしても、

「これは赤ちゃんや幼少期に受けた何かしらの刺激なのかもしれない。」

と考えたりして、自分の記憶の正確さをあてにしなくなります。

不安の根源には、

・自分は何でも知っていて当然

・知らないなんて馬鹿な人間だ

・忘れっぽいことは悪いこと

・自分の記憶は正しいに決まっている

などの固定観念が引っ付いていることがままあります。

不安に思った時は、自分が正しさにこだわっていないか掘り下げてみるのもパニック障害を改善していくプロセスの役に立ちます。

「今」に意識を置くことは心の病気を治すのに有効でした。

過去や未来をあれこれ心配する思考から解放されて「今」を感じてみてください。

参考まで。

-メンタルヘルス, 心と体
-,

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